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カキ (漢字名:牡蠣、分類:ウグイスガイ目イタボガキ科、英名:Oyster)(1)

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ピュージェット・サウンドのカナダ国境からオリンピアにかけては、カキの一大産地ですが、100年以上前にはカキは生息していなかったようです。90年以上前に日本人がこの地に種カキを日本から持ってきて養殖始めたのが最初とも言われ、クマモトやミヤギなどの品種はその名残りと思われます。現在は種類も多く、順不同で列記しますと、Pacific Oyster、Sunset Beach、Dabob Bay、European Flats、Olympia、Pickering Passage、Penn Cove Select、Quilcenes、Otter Cove、Totten Inlet、Hama Hama など、50~75種類にもなるそうで、宇和島屋鮮魚部ではこれらの活きたカキ及び生カキを通年販売しています。

カキをこの地に持ち込んだとされる日本人の名前は蔦川彰三(つたかわ・しょうぞう)といい、9人の子宝にめぐまれ、その内2人は帰米2世(日系人の特別な日本語で、帰米はキベイと読み、アメリカで生まれ、日本で教育を受けた後にアメリカに戻って来た日系2世を意味する)としてシアトルに戻ってきました。その2人とは次女の貞子(現在宇和島屋を経営してる森口7人兄弟姉妹の母)と、次男の蔦川ジョージです。蔦川ジョージ氏は帰米後、シアトルにあるワシントン大学の美術学部を卒業し、同学部の教授になり、噴水彫刻の世界的な第一人者にもなりました。その作品はシアトルやスポケーン、ホノルル、ワシントン D.C. を含むアメリカ各地、カナダ、日本(札幌市、仙台市、東京都世田谷区、広島県福山市など)でも見ることができます。シアトルではダウンタウンの高速道路わきにある 『Renaissance Madison Hotel』 の対面(高速道路側)に設置されているのも、シアトル付近にある多くの作品の中の一つです。

なお、蔦川彰三氏は5人の弟のうち3人(他の2人の弟は若くして死亡)を日本から迎え、戦前は貿易商として材木や金物類を主に日本向けに輸出し、また、日米食料品・雑貨を輸入し卸売り及び小売りをしていましたが、戦前に日本に帰国し、再渡米はしませんでした。その後の日米開戦で、蔦川兄弟の事業は消滅しています。

掲載:2009年10月

『お魚豆知識』 は、宇和島屋鮮魚部の沖良三さんが発行している 『Seafood Newsletter』 の一部です。宇和島屋の入荷商品やおすすめ商品の情報が満載ですので、ぜひご購読ください。お申し込みは seafoodnews@uwajimaya.com まで、日本語でどうぞ。

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