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全米バリスタ・チャンピオン レイラ・ガンバーリさん 「シアトルのカフェ・シーンは、これからさらに進化する」

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レイラ・ガンバーリさん
Cherry Street Coffee House

2014年全米バリスタ・チャンピオン。大学時代は教師を目指していたが、父親がシアトルでオープンしたカフェ 『Cherry Street Coffee House』のビジネスを手伝ううちにコーヒーの魅力にはまり、バリスタに。2009年からバリスタ大会に出場し、2014年4月に全米チャンピオンシップでみごと優勝。米国代表として6月に開催される世界大会に出場予定。ノースウェストの複数のカフェでの経験を経て、現在は再び『Cherry Street Coffee House』でディレクター・オブ・コーヒーとしてビジネス全般に携わっている。

【公式サイト】 Cherry Street Coffee House

コーヒーの魅力にとりつかれて

物心ついた時には、父親のアリ・ガンバーリさんが当時マネジャーとして働いていたカフェで過ごしていたというレイラさん。バリスタとしての出発点は、小学校入学直後の1994年に父が起業したカフェだった。

レイラ・ガンバーリさん

父親のアリさんと

父は19歳の時にイランから米国に移住し、ピザ屋の皿洗いから始めた人。私が物心ついた頃は、キャピトル・ヒルのブロードウェイ・マーケットにあった 『B&O Espresso』(注:バラード地域への移転後、2014年に惜しまれつつ閉店)でマネジャーをしていました。そんな父について行き、カウンターに座って絵を描いていたのが、カフェにまつわる私の最初の記憶ですね。

私が小学校に入った頃、父が『Cherry Street Coffee House』を起業して、その後は家族全員で大好きなコーヒーのビジネスに全力を傾けてきました。まさにアメリカン・ドリームを生きている父に、私もどれほど助けられたかわかりません。

小さい頃から「将来はバリスタになろう」と思っていたわけではないんです。教師になりたくて、大学では幼児教育を専攻しました。10代の頃からバリスタとして父のビジネスを手伝っていた関係で、大学を卒業してから一時的にバリスタのトレーニングを担当することになったのですが、そこでなぜかコーヒーの魅力にとりつかれてしまって。教師になる勉強をした後で、コーヒーについて教える立場になってみると、やればやるほど面白くなったんですね。「私はコーヒーを仕事にするべきなんだ」ということがはっきりして、それからはずっとこの道一筋です。

レイラ・ガンバーリさん

自分を客観視して自信をつけるために必要なのは経験

自分をコーヒーの魅力に目覚めさせてくれた父親のビジネスを離れ、カークランドやシアトル、そしてオレゴン州ポートランドのカフェで経験を積んだのは、さらに成長するためだった。

当時もバリスタとしてすでに経験はありましたが、バリスタを仕事にするなら、そしてそれで成功するなら、他の店で働いて、客観的に自分を見て自信をつけなくてはと思いました。父の助けがなくても自分がやっていけることを確認する必要があったんです。

レイラ・ガンバーリさん

大学卒業後はカークランドに引っ越したんですが、家から歩いてすぐの 『Urban Coffee Lounge』 がちょうどバリスタを探していて、そこで働くことになりました。しばらくして、全米バリスタ・コンペティション(USBC)に出場したことがある同僚バリスタの勧めで大会に出場することになりました。2009年のことです。その時は地方大会で3位になり、全米大会で準決勝まで進みました。これはとてもいい経験でした。

その大会で出会ったオレゴン州ポートランドの人気店 『Barista』 のオーナーから仕事のオファーを受け、今度はポートランドに引っ越しました。『Urban Coffee Lounge』 も『Barista』 もポートランド発の 『Stumptown Coffee Roasters』 の豆を使っていたので、そこでも2年間働いてみました。その頃に出場した大会で出会った 『Caffe Ladro』 のオーナーが教育ディレクターの仕事をオファーしてくれたので、再びシアトルへ。そこで1年半働いて、今年2月に『Cherry Street Coffee House』に戻ってきました。

兄に子供が生まれて、孫と一緒の時間を過ごしたい父のためにも、私が父の店で働くのはとても自然なことでした。私たちのカフェでは兄が起業した『Seattle Bagel Company』 のベーグルを使っています。もうすぐ大学を卒業する弟もこれからファミリー・ビジネスに携わる予定です。私を信じて、ずっと支えてくれた父はもちろん、兄も弟も、家族みんなで支えあっているんです。

レイラ・ガンバーリさん

栽培農家・焙煎業者・バリスタの「3人の物語」を伝えたドリンクで全米優勝

そうして経験を積み、自信をつけていく中で、今回の全米バリスタ大会で作った、オリジナルのドリンクが誕生した。

全米バリスタ・チャンピオンシップ(USBC)では、15分間でエスプレッソ、カプチーノ、そしてオリジナルのドリンクを作り、技術面の審査員2人と芸術面の審査員4人に審査されます。

レイラ・ガンバーリさん

今年1月にエルサルバドルに行ってから、オリジナルのドリンクのコンセプトについてずっと考えていました。2月のノースウェスト大会ではまだそのコンセプトがまとまっていなかったのですが、「コーヒーの栽培農家、焙煎業者、バリスタの3人の物語を伝えるドリンクとしてプレゼンテーションする」と決め、エルサルバドルのコーヒー農園産のコーヒー・ジャムとコーヒーの花から作られたハチミツを使い、同じ農園のチェリーの木片に審査員の前で火をつけて出た煙でコーヒー豆の焙煎を思わせる香りを演出し、ディアズさんやDillanos 社と一緒に開発したブレンド豆で作りました。そのコーヒー・ジャムは、私たちの店が使っている Dillanos Coffee Roasters のコーヒー農園 Finca El Manzano で、栽培を担当しているエミリオ・ロペス・ディアズさんのお母様が作ったものです。

何万回も練習しましたよ(笑)。どんどん改善していくことで、複雑でダイナミックなドリンクが完成したんです。

レイラ・ガンバーリさん

シアトルのコーヒー・シーンの「これから」

シアトルとポートランドは同じ米国北西部の街ではあるが、そのコーヒー・シーンは「似て非なるもの」と言うレイラさん。その違いとは・・・。

シアトルのコーヒー・シーンは成熟しています。私たちの店は1994年創業ですし、1992年に開店した『Espresso Vivace』、2000年オープンの『Victrola Coffee Roasters』 など、シアトルのコーヒーの歴史そのもののカフェがあります。最近は新しいカフェもできてきていますが、シアトルに長年暮らしている人は昔からあるカフェで、人生のさまざまなシーンを過ごしていますね。一方、ポートランドは、1999年に開店した『Stumptown』 は別として、人気のあるカフェは新しいカフェが中心。シアトルとは歴史の深さが違います。

でも、シアトルのコーヒー・カルチャーもここ20年でずいぶん変わりました。コーヒー・ビジネスに参入した時期によって、カフェのスタイルが変わってきているのです。

最後に、ディレクター・オブ・コーヒーとしての今後、そして、これからシアトルのコーヒー・シーンはどう変わっていくと見ているのかを聞いてみた。

レイラ・ガンバーリさん

『Cherry Street Coffee House』 はシアトルのコーヒー・シーンと歴史の一端を担っているので、これまで作り上げてきたオリジナリティあふれるものは大切に守っていきます。でももちろん、技術や材料、設備などは、常に改善していきますよ。もっと良くなろうという努力を怠るつもりはありませんから。

シアトルでは、私たちと同じように成熟した老舗カフェが、ビジネスにおける競争の最先端に居続けるために、これからどんどん変わり続けるでしょう。新しいカフェもすばらしいですが、シアトルのコーヒーの歴史を作った老舗カフェならではの形で、これまで培ってきたものを失うことなく、もっとおいしいコーヒーを作るために、変化していきますよ。

コーヒーはとても面白いもの。一杯のコーヒーに、本当にいろいろなことが詰まっています。私がこの大会で優勝したことが、たくさんのバリスタや、バリスタになりたい人たちの元気につながれば嬉しいです。

【編集後記】
撮影に伺った 『Cherry Street Coffee House』 には、レイラさんが「どれほど助けられたかわからない」という父親のアリさんが、今回の取材のためにわざわざ来てくださっていました。機材搬入を手伝ってくれたりと人懐っこいアリさんは、レイラさん同様、笑顔がとても素敵な方。撮影後、「これまでの60年間に何をし残してきたかは問題ではありません。大切なのは、明日からの6日間に何をするか、ですよ」と熱く語ってくださり、シアトルのコーヒー・シーンの奥深さ、そしてこれからも変化し続けていく老舗カフェの原動力はここにあるんだな、と改めて感じました。

レイラ・ガンバーリさん

アリさんと話すレイラさん

掲載:2014年5月 写真: K’s Photography

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