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幼いころに始めた水泳がキャリアとなり、アクアエクササイズを含むさまざまなフィットネスを20年以上にわたって指導してきた魚住幸枝さんにお話を伺いました。
※この記事は、最初の掲載から内容を変更しています。ご了承ください。 |
水泳とボートに明け暮れた日々
水泳を始めたきっかけを教えてください。
水泳を始めたのは、私の体が小さかったことを心配した母親が「元気な子に育ってほしい」と、近所のスイミング・スクールに入れたのがきっかけです。「3年は続けること」と両親に言われてがんばりましたら、とんとん拍子で選手に選ばれ、選手コースで泳ぐようになりました。それから私の水泳人生が始まったのです。全国から水泳が上手な子供たちが5歳ぐらいから出場するジュニア・オリンピックというインターハイの子供版にも10歳の時に出場し、中学校までは水泳部で水泳に明け暮れていました。
水泳の指導を始めたのはいつですか。 高校入学後に入部したボート部で競技にかかる費用を捻出するため、アルバイトとして始めたのが水泳の指導でした。でも、当時はそれを将来の仕事にするとはまったく思っておらず、友達がマクドナルドでアルバイトをするのと同じような感覚だったのです。当時は何かになりたいと明確に考えていたわけではなく、何をしていいかわからない状態でした。
ボート部ではかなり活躍されたようですね。 ボート部では、イギリスやフランスなどのヨーロッパ、韓国や中国などのアジア各地に海外遠征にも出かけました。でも、これは私がすごかったのではなく、競技人口が少なかったことが幸いしたんです。こちらではボート競技が盛んですが、当時の日本では「高校生でボートをやっている」というのは非常に珍しいことでしたので、単にそれでうまくいっただけだと思っています。
フィットネスの指導をキャリアに
フィットネスの指導をキャリアにするきっかけとなったのは何ですか。
高校卒業後、大学に入学しましたが、競技中に腰を痛めてしまい、大学を中退しなくてはならなくなりました。そうすると自分には何も残らなくて。そこで自分がすぐにできることと言えば水泳の指導だったので、スイミング・スクールにコーチとして就職しました。最初の就職先は、小規模ながらもオリンピック選手も輩出している淀川善隣館というスイミング・スクールでした。生後6ヶ月のベビー・スイミングから90歳の方の水泳などさまざまなクラスを教えましたが、ちょうど上層部が辞めた時期だったので好きなようにさせてもらえた反面、何も教えてもらうことができなかったので、休日には各地のワークショップや研修会を受け続けました。お金をいただいている以上、中途半端なことはできません。子供と接していれば子供から学ぶことも多いですし、大人の方ならフィットネス歴が自分より長い人のほうが多いこともあったので、やはり私がちゃんとしていないと教えていけませんよね。28歳まではそのように休日返上で突っ走ったという感じです。
アクアエクササイズに出会ったのはいつでしょう。
淀川善隣館に勤め始めてから2年ぐらいした20歳のころに、アクアエクササイズが日本に入ってきたんです。その研修を受け、「これはすごくいい」と思い、講師をしていた小西薫先生とお話をしたところ、「どうせやるなら独立してフリーになって、ちゃんと勉強してみないか」とおっしゃってくださいました。そして小西先生に師事し、フリーになってアクアエクササイズ協会専属インストラクターとなり、アクアエクササイズ・プログラムの開発プロジェクトに参加しました。アクアビクスを含むアクアエクササイズの指導にあたりはじめたのもこのころです。
アクアエクササイズとはどういったものですか。
アクアエクササイズは水泳・ウォーキング・器具を使った筋肉トレーニングなど、水中でやるエクササイズ全般を含みます。体にも良くて負担が少なく、やり始めて8キロぐらいやせましたね。でも、まだ日本にアクアエクササイズが入ってきてすぐのころはフィットネス・クラブ側も「アクアエクササイズってなに?」という状態でしたから、せっかくフリーになったのに仕事がない(笑)。ですから、各地のスイミング・プールなどに営業に行きましたよ。アクアエクササイズがどういうものか見せるために説明をしたりクラスをしたりして、お客さんの反応を見てもらいましたが、それで良い結果が出たんです。生徒さんは私の母親ぐらいの年齢の方が多く、とてもかわいがってもらいましたよ。当時はエクササイズと言えばエアロビクスしかなく、これでは参加できる年齢が限られてしまうので、フィットネス・クラブ側ももう少し上の年齢の方でもできるものを探していたところでしたから、それにはアクアエクササイズがぴったりだったというわけです。
渡米
渡米したきっかけを教えてください。 私があちこちのワークショップなどに参加していたころ、たまたま参加したカリフォルニア州の講習会で、後に夫となる人と知り合いました。夫は別に本職があるのですが、フィットネス関係の仕事も趣味のような形でやっていたので、その講習会に参加していたんです。そして遠距離恋愛を続け、2002年には結婚したのですが、私はまだまだ仕事がおもしろかったのでシアトルに移住したいとは思わず、私は大阪、夫はシアトルにそれぞれ住み、私が日本とシアトルを行き来していました。フリーのインストラクターとしてあちこちのフィットネス・クラブやプロ・スポーツ・チームと契約して指導をしたり、指導者の養成をしたりし、日本だけでなく、台湾やタイにも出向きました。また、タイにフィットネス・クラブを立ち上げるというプロジェクトにも参加し、タイ語を習得してタイでタイ・マッサージ、タイ式リフレクソロジー、ベビー・マッサージを修得するなどおもしろい経験もあります。そして、妊娠したのをきっかけに、私がシアトルに移住することになりました。ちょうど「もうこの仕事は精一杯やった」と思えるぐらいになっていたので、完全に仕事を辞めてシアトルに移住しました。
こちらでまたお仕事を再開されることになったのはなぜですか。
シアトルでの生活が落ち着いてみると、「アメリカで仕事をしたい」と考えるようになりました。そして「じゃあ自分はいったい何ができるんだろう」と考えた時、その答えはやはり
"フィットネス" だったのです。アメリカにはトレーニングや研修で何度か来ていましたが、英語のネイティブではありませんし、大学を中退した私ができることといえば、やはりこれまで積んできたキャリアを活かすこと。私は水中だけでなくジムでのトレーニングの指導もしますので、まず、夫の友人たちのウェイト・トレーニングから指導を始めました。トレッドミルで走ったり、外を歩いたり、プールで泳いだりといろいろやりましたが、あまりにも体重が重い方には水中でのエクササイズも取り入れるようになりました。
ベビー・スイミングのクラスも実施されているのですね。
これは自分の経験から始まったものなんです。長女がまだ生後3ヶ月ぐらいのころ、あまりぐずるので、「水に入れてみよう」と思いたち、一緒にプールに入ってみました。そしたら長女は水をとても気に入ってくれて、「これはいいじゃないか」と。それがきっかけでベビー・スイミングのクラスを始めました。親と子供が一緒にいても、親が子供と向き合ってコミュニケーションをとっているとは限らないですよね。でも、スイミングのクラスでは向き合わないわけにはいきません。ですから、親子にとっても、スイミングのクラスはとても良い結果を生むと思っています。
これからの抱負を教えてください。 長女を出産してからしばらく運動をしなかったことで、運動をしないことから来る疲労や痛みを体験しました。幼いころから常に運動をしてきた私にとっては初めてのこと。「これだけで疲れるのか」「これだけで体が痛くなるのか」と驚き、運動をしないとどうなるのかが実感できたように思いました。女性の体は、出産はもちろん、年齢を重ねることによって大きく変わっていきます。私も出産という大きな変化でいろいろわかったことがありました。これからは女性の体が楽になることをいろいろ考えていきたいと思います。
ありがとうございました。
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1974年 水泳を始める
1985年 大阪府立住吉高校でボート競技を始める
1988年 大学入学
1988年 大学中退 スイミングスクールに就職 水泳、フィットネスの指導を開始
1990年 アクアエクササイズの指導を開始
1991年 エアロビクス・インストラクター養成校を終了、指導開始 フリーのインストラクターとしてフィットネス・クラブやプロ・スポーツ・チームと契約し、日本・台湾・タイで指導・指導者養成にあたる
2002年 結婚
2003年 渡米、現在に至る |

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