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食品の安全性や健康な食生活の大切さが強調されるようになってから、大きく注目を浴びている有機食品。今月は、スカジット・リバー沿いで有機農場を経営している英子・ヴォイコヴィッチさん一家にお話を伺いました。
渡米から農場経営へ

渡米されてから有機飼育の農場を始めるまでのことを教えてください。

英子:生まれ育った東京から渡米したのは1976年。留学先のシアトル大学での専攻は社会学で、すばらしい学生時代を過ごしましたよ。当時、中世英語などを教えていた教授と今でも家族ぐるみでおつきあいしてます。1981年の大学卒業と同時に、船舶代理店のノーススター社に入社し、アラスカ州ダッチハーバーで同社支店のマネジャー、アンカレッジでアラスカ全域の海外担当マネジャー職を務め、1986年にアークティック・アラスカ・フィッシャリーズ社(現:タイソン・フーズ社)へ。ここでは国際業務を担当するようになり、最終的には国際販売部の副社長として、数トンのシーフードをコンテナで日本へ輸出するなどの大規模な貿易業務や事業拡大に関わる業務を担当しました。ワシントン大学で経営学修士号も取得し、本当に多忙な毎日でしたね。そして1990年に同社のトロール工船の船長で現在の夫のジョージと結婚し、結婚祝いにかわいらしいアンガス牛をもらったんです。私たちは現在250頭のアンガス牛を飼育していますが、そのプレゼントでもらった牛がこの農場の最初の牛ですね。そして、娘のニコルが生まれた1994年に「もう多忙な生活には終止符を打ち、家族中心の生活に切り替えよう」と夫婦で話し合い、昔から生物・動物を扱うことが好きなジョージは「それなら、家族で農場をやりたい」と。私たちは水産業に従事するかたわら、1995年までワシントン州ウェストポートで穀物を使った牛の飼育もしていたので、私は「O.K.」と答えました。しかし、スカジット・リバー沿いの土地200エーカー(約24万4,800坪)を買ったのはいいですが、農場をやろうと言っても明日からすぐ収入があるわけじゃない。そこで私は自分のペースで仕事ができるよう会社を辞め、水産物の貿易を手がけるベンチャー・シーフーズ社を設立し、農場に専念するようになった2000年までフルタイムでアメリカ・メキシコなどでとれるありとあらゆる水産物を動かす毎日を送りました。


オフィスから農場へのトランジションは大変ではありませんでしたか。

英子:私は農場の経験はまったくありませんでしたが、昔から動物が好きでしたし、カントリー・リビングが大好きです。ジョージと私はキャピトル・ヒルやウェスト・シアトルに住んでいたこともありますが、彼は町には住めないタイプなので、今の暮らしがとてもあってるんですよ。農場をやると決まった時、まずロゴのデザインをし、次にウェブサイトを作りました。周りの人たちはロゴに大金を払うなんて私の気が違ったのではないかと思ったようですが、私はマーケティングの仕事をしていましたから、商品を表すロゴを作ることはとても重要だということを知っていたのです。


なぜ有機農場なのですか。

ジョージ:もともと私はジャンクフード好きだったんですよ。賞味期限は6ヶ月先というようなひどいものを食べ、自然食品の店など行ったこともなく、ばかばかしいとさえ思っていたのです。農場も最初は有機農場ではなく、牛も一般的な牛と同じく穀物で育てていました。有機飼育では有機栽培の牧草を牛に食べさせますが、穀物は早く体内に吸収されるため大量生産の牛肉生産業者には好まれるのです。でも、漁業から離れ、農場に専念することになった翌年の1996年のある日、私は心臓発作を起こし、数日間にわたり入院することになりました。病名は心房性細動(atrial fibrillation:不正動脈の一種)で、原因は農場か食べ物に含まれる化学物質のようだのこと。それが自分の食生活を見直し、また、農場を有機農場に作り直すきっかけとなりました。

英子:農場が完成するまで、1年にわたってベジタリアンになりました。有機農場として州農務省に認可されたのが1998年。それからようやくまた肉も食べるようになりました。もちろん、自分たちの農場で生産した肉です。20代のころは乱暴な食生活でもいいかもしれない。でも30代になるとだんだんと体に影響が出てくるようになります。ジャンクフードを食べ続けて、自分は運良く健康でいられるはずと期待することはできません。自分の食生活が自分の子供にまで及ぶようなことになってしまうこともあるでしょう。豊かな国といわれるアメリカなのに、人々はどんどん病気になっている。なぜ?何かがおかしい、とみんなが思うようになるには、まだ50年はかかるかもしれない。そんな状況で、私たちが目を覚ますことができたのはラッキーだと思っています。


有機農場について教えてください。

ジョージ:まず、有機栽培を簡単に説明しましょう。有機栽培は、健康な土壌にとってとても大切な微生物の働きを活性化させるため、有害なもの、つまり化学物質を土壌に加えないことがポイントです。微生物は食物連鎖の基本で、そこから私たちの食べものが始まります。その微生物を化学物質で殺してしまえば不健康ながら化学物質で生きながらえている土壌になってしまい、そこで食物が育ったとしても、それを食べる人間が今度は健康を維持するための薬を必要とするようになってしまいます。"We are what we eat" です。これらの微生物はたんぱく質とミネラルを必要としているので、土には魚をまいています。考えてみると、これは私が幼いころに漁師だった祖父がやっていたのと同じことで、私の代になって1周して元のところに戻ってきたんですね。そして当然ですが、一般的な飼養場(フィードロット)ではおなじみのホルモンもステロイドも抗生物質も、有機飼育では使いません。必要ないからです。

英子:私たちの農場は農務省に認定された有機飼育で、厳格なガイドラインに沿っています。正しい有機飼育をするには最新の知識が必要ですから、勉強家のジョージはリサーチを重ね、一生懸命に取り組んだのですよ。米国全体の畜産農場の中でも有機飼育の農場は1%弱しか占めていません。なぜなら、有機飼育は牛を育てるコストがとても高いからです。有機飼育でない農場は1エーカーあたり牛1,000頭ですが、有機飼育では1.5エーカーあたり牛1頭です。これだけ聞いても、どうして有機飼育が大多数を占めていないかわかりますよね。

ジョージ:また、有機飼育をするには、牧草を有機栽培しなければなりませんから、牛を育てる前に、優れた牧草を栽培する必要があります。うちの農場では複数の牧草を育てており、牛はとてもバランスのとれた食事をしてるんですよ。


商品を販売し始めた時はどのような状況でしたか。

英子:ようやく肉と卵を売る準備ができ、どのようにして商品を売ったらいいのかいろいろな人に聞いてみたところ、「ファーマーズ・マーケットはどう?」。私たちはこのアイデアに懐疑的だったのですが、地元の2つのファーマーズ・マーケットを選んで出店することにしました。最初は少し心配でしたね。ファーマーズ・マーケットに行くのは好きでしたが、考えてみてください、私はコンテナで数十万ドル分のシーフードの貿易をしていたことはあっても、卵を50個売るなんてことはしたことがなかったんですから。テーブルを置いて、アイスチェスト(アイスボックス)を置いて、牛肉についてお客さんと話す・・・なんてことはこれが初めて。でも、ジョージと「私たちは農場経営者なんだから、とにかく売ってみよう!」と。そんな時、2人のジャーナリストが私たちのやっていることを広く知らせる機会を与えてくれました。1人目はスカジット・リバー・ヘラルド紙のマリナ・パー氏("Their Beef Is Organic":2002年4月14日掲載)、2人目はシアトル・ポスト・インテリジェンサーのシャオチン・チョウ氏("Cattle Call":2003年2月26日掲載)。ちょうど人々がオーガニック(有機栽培)について理解し始めたころで、とてもタイミングが良かったですね。化学的なものがたくさん入った食べ物で病気になる人が増え、医者から「体内から化学的なものを除去しなくてはならない。それには有機栽培が1番だ」と言われた人たちが有機栽培に目を向け始めたのです。まだ有機栽培は珍しく、ましてや有機飼育なんてワシントン州では私たちともう1つの農場ぐらいでしたから、これらの新聞記事を見て私たちのウェブサイトを訪れた人たちが問い合わせをしてくるようになり、今度はシアトルのファーマーズ・マーケットにも出店し始めました。そこで信じられないぐらいたくさんの人たちに「これを探していたんだ、本当にありがとう」と言われたのです。

ジョージ:今でもよく言われますよ。食べ物から病気になる人たちが増えている今日、インターネットなどを使ってより多くの人たちが食品に関してさまざまな情報をを読んで注意を払うようになっています。彼らは不健康で、「どのようにしたら元のように健康な体になれるのか」といったことを考えているからです。

英子:そして、2003年秋にスローフード協会が開催した試食会で、私たちの牛肉が全米最優秀賞を受賞しました。それがきっかけとなり、ダウンタウン・シアトルにあるレストラン、Earth & Ocean のエグゼクティブ・シェフ、マリア・ハインズから「あなたのところの肉を試食してみたい」と連絡を受けたのです。彼女はとても知識が豊富で人柄も良く、有機飼育について語り合いました。その結果、私たちは小規模の農場で供給に限りがあるにも関わらず、彼女は大規模な食品会社の牛肉ではなく、私たちの牛肉を選んでくれたのです。彼女と仕事をすることは本当に楽しいんですよ。また、シアトルのシェフたちはお互いに情報交換をしますし、ファーマーズ・マーケットで買い物もしますから、私たちのことも口コミで他のシェフにも広がっていきました。これまでかなりの投資をしてきましたが、10年目の今年になって、ようやく採算がとれそうです。


典型的な1日と1年の流れはどのような感じですか。

英子:私たちの1日は午前5時に始まります。ジョージが手伝いの人たちと動物たちに餌をやり、ファーマーズ・マーケットがある春から秋にかけては1週間に8ヵ所のマーケットで店頭販売をします。アイスチェストの準備、食肉の保存処理など、やることは山のようにありますし、1日に540個の卵を洗い、ケースに詰める作業も重要です。夏は干草の処理もありますね。会計もマーケティングも1週間に1回経理の人が来る以外は私がやっていますし、娘の学校のためのボランティア、家族のための野菜の栽培もあります。そして午後8時ごろにだいたいの作業が終わり、寝るのは午後11時ごろ。12月にはファーマーズ・マーケットも終わるので、それから2月までは農場の修理や改善をする時期です。2月は少しゆっくりした時間が持てますが、3月になるとまた忙しい毎日のスタート。私たちは広い土地に放牧している牛を完全に有機栽培の牧草だけで育てているので、春には牧草が生えるようにする必要があります。ジョージは土壌のエキスパートですから、元気な牧草がちゃんと生えてきますよ。

ジョージ:我々が漁業関係の仕事を通して魚の冷凍保存について熟知していたことも、この農場でのプロダクションにとても役立っているんです。肉の味が良い春から秋にすべての食肉処理を行い、急速冷凍します。レストランなどにも卸すようになりましたから、品質保存が最優先です。

英子:その他にも、マーケティングや運営など、過去の仕事におけるさまざまな経験が集約されていますね。まったく異なる業界で、まったく新しいことを学んでいる状態ですが、屋外で働くことも、土や動物と密接に関わりあうことも大好きで、娘との時間をできるだけ多く持ちたいですからやっていけます。今では娘もファーマーズ・マーケットの運営に関わっており、特に地元のマウント・ヴァーノンのマーケットでは中心的な存在です。

ジョージ:最近は子供に働くことを教えない親が多いですね。子供を子供のままにさせておいて、20歳になっても仕事の仕方を知らない若者が増えています。

英子:さらに、今は生産者と人々のコネクションが失われています。スーパーマーケットで卵が作られていると思っている子供も多いと聞きます。とても悲しいことですよ。昔は祖父母も両親も子供もみんなで家のことをしたものです。もちろん、私たちがいつも働いていて、娘も子供らしいこともしないで私たちを手伝うことになって申し訳ないな、と思うこともありますが、両親が働いているのを見ることは子供にとって大事だと思います。


これからの抱負

今後の抱負を教えてください。

英子:お客さんに、"That was the best steak I ever had, and thanks for what you are doing"(これまでで食べた中で1番おいしいステーキだった。いい仕事をしてくれてありがとう)と言われると、やりがいを感じますね。

ジョージ:たくさんの人が、「この1年、あなたのところの肉だけを食べています。そしてコレステロールが40ポイントも下がりました」などと言ってくれるんです。うちの肉は楽に消化できます。ベジタリアンで肉を食べない友人や、3年にわたって野菜でさえも生でしか食べないロー・ベジタリアンの友人がうちの肉を食べたりしても、問題なく消化できるという話です。とてもいいコメントをいただくと、やりがいを感じます。汚染されていない肉を病気の子供に食べさせたいと、うちの肉を買ってくれる親もいます。

英子:正しい食生活をしていれば、健康を保つことができる。"Food is medicine" ですよ。私たちの娘に食べさせられないものは売らない、それが私たちのビジネス・モデル。そして、日が暮れるころに1日の仕事を終えて、農場を見渡せるポーチにすわって夕日を眺めながら、"We still like what we do"と思えること。土にも動物にも近く、自分たちがいいことをしているんだと思えること。これはとても幸せです。私たちの一生は終わりがあります。微生物がきちんと育つ、良質の土壌をジョージが作っているので、私たちが死んだ後にも肥沃な土地を残すことができるのです。この土地が今後もすばらしい食べ物を育てていくと考えると、とても幸せです。


ありがとうございました。


 
(英子・ヴォイコヴィッチさん

1976年
渡米し、シアトル大学へ

1981年
シアトル大学の社会学専攻で学士号取得、ノーススター社入社

1986年
アークティック・アラスカ・フィッシャリーズ社入社

1991年
ワシントン大学で経営学修士号取得

1995年
スカジット・リバー沿いの土地を購入し、農場を設立

1996年
ベンチャー・シーフーズ社設立

1998年
スカジット・リバー・ファームが有機飼育で州農務省に認可される

2000年
スカジット・リバー・ファームに専念、現在に至る


英子さんが担当している畑のズッキーニ。


微生物が生きている土。白く見えるのがそれ。


数エーカーの土地を走り回っている鶏。これぞ本当の "free range"。


子牛のラッキー。お母さん牛と散歩中?


元気なヒヨコ。現在300羽が育てられている。


野生のブラックベリー。粒が大きい。


2002年から飼育を始めた鶏をバーベキュー。とてもジューシーだ。


豪快に食べるステーキ。分厚いのに胃に軽い。


3歳の時から馬に乗っているニコルちゃんと食後の乗馬。


農場のそばを流れるスカジット・リバー。白頭ワシも飛んでいた。



Skagit River Ranch

Seattle Post Intelligencer
(2003年2月26日)

Skagit River Herald
(2004年1月4日)


誰かのためになるいい仕事に情熱と誇りを持って取り組む人生は、"Go Getter" の英子さん一家だからこそ実現しえたものだと思います。インタビュー中に「放牧中の牛が柵から出てしまった」とおばあちゃんが報告してきた瞬間、"I'll go!" と外に飛び出し、馬小屋につないでいた裸馬にひらりと飛び乗った11歳のニコルちゃん。パカパッパカパッと牧草地を駆けていって進行方向をふさぎ、ジョージさんと見事なチームワークで牛を牧草地に誘導したのでした。それを見ていたおばあちゃんが、「あの子はスペシャルな子よ。生まれてきた時もほんとに嬉しかった。あたしはあの子の祖母として、ちょっぴり誇りに思ってるの」。とにかくあったかい家族で、みんなが助け合っているのを感じました。

スカジット・リバー・ランチについてさらに詳しく知りたい方や商品を購入したい方は、スカジット・リバー・ランチ内の小売店、または各地のファーマーズ・マーケットへ。スカジット・リバー・ランチの公式サイトに、小売店の詳細や、ファーマーズ・マーケットのリストが出ています。また、9月11日にウェスト・シアトルで開催されるイベント 『The Incredible Feast』 にも参加されるので、まだチケットを購入されていない方はぜひどうぞ。


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