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2004年3月にパイク・プレース・マーケットの2階にある隠れ家的なレストラン、Chez Shea/Shea's Lounge(シェシェ/シェズ・ラウンジ)の経営者に就任された井川浩一郎・知世さんにお話を伺いました。
渡米まで

レストランの経営をしたいと思われるきっかけは何だったのでしょうか。

浩一郎:
私がもともとやっていたのはレストラン業界とはまったく異なることです。最初に就職した日産自動車の子会社の日産トレーディングという会社では、新規事業として始まったワインの輸入に携わりました。チーズなど高級食材も輸入してワインとパッケージ販売したのですが、今から約20年前と言えば、まだ日本にワイン文化が浸透していなかった頃。シャルドネやカベルネ・ソービニヨンが何であるかなどあまり知られておらず、ワインの選択肢としては「僕は赤が好き」「私は白が好き」というパターンが一般的でした。そのため事業としてはあまり華々しい結果を出すことができませんでしたが、ワインと食品の買い付けでフランス・カリフォルニア・スペイン・ドイツなどに出張させてもらったことが、食に関して海外に目を向ける大きなきっかけになったと思います。そして「将来はレストランをやりたい」という希望が強くなりました。でもそれはずっと将来のことで、まずは「実力主義」と言われていた外資系で働いてみたいと思い、お世話になった日産トレーディングを退職してイーストマン・コダック・ジャパンに入社しました。


コダック社でのお仕事について教えてください。

浩一郎:
コダックでは製造に直結する資材購買を主に担当していました。製造業は品質が第一ですから、不具合発生率を極限まで抑える継続的な改善努力が必要です。シックス・シグマ(six sigma)と呼ばれる管理手法なども学びながら、品質が何であるか、製造工程が何であるかを知ることになりました。そうすると、「これは料理にも通じる」と思うようになったのです。当時から家でも料理をするのが好きだったのですが、何を作るか決め、材料を買い、準備し、作り、食べ、残り物は冷蔵庫へというプロセスは、企画・購買・製造・検査・在庫管理と共通していますよね。それがわかってからはさらに勉強になりました。また、コダックの内製部品の製造工程をタイのバンコクに移転するプロジェクトでは、工場立ち上げから製造プロセスの管理などすべてに関わることができ、これまた料理との共通点を見出す良い機会になりました。コダックでは学ぶことが多かったですが、たまたま発表された希望退職制度をきっかけに新たな進路に向かう決意をしました。コダックの本社があるニューヨーク州のロチェスター市はとても好きでしたし、友人も多かったのでいっそのことロチェスターでレストランを開業しようかなと一瞬思いましたが、偶然見かけたデル・コンピュータの求人広告に応募し、入社することになりました。

知世:
でも、あの時はロチェスターでレストランなどやらなくて結局は良かったんです。この間行ってみたら、以前に比べても少し閑散としていましたし。

浩一郎:
その通りで、ロチェスターはあまり人口が密集していませんし、レストランもシアトルなどに比べると少ないですから現地で育ったことのない我々にはリスクが大きかったと思います。そんな経緯でデル・コンピュータに入社し、サービス部品管理、品質管理のマネージャーを経てグローバルアカウントの営業マネージャーとなり、毎日目が回るような忙しさを経験しました。たったの1年ちょっとの間のことですが、私には3年くらいに感じましたよ。そのデル・コンピュータを何とその1年ちょっとで退職してマイクロソフト日本法人に入社することになりました。デルからマイクロソフトに転職した知人からお誘いがあったためです。当時のデルはコンピュータ業界の価格破壊を続ける風雲児でした(今でもそうですが)。「価格を下げ続けるとどうなるか・・・?」と若干心配していたこともありましたし、ソフトがハードを引っ張るものと考えていましたからマイクロソフトには大きな魅力を感じました。でも今でもデルは伸び続けていますから、「辞めなきゃよかったかな」と思うことがしばしばあります。


マイクロソフト社からレストラン経営への移行について教えてください。

浩一郎:
マイクロソフトでは最初に購買を担当しました。当時、同社の日本法人には購買を専門に扱う部門はなく、各部門で独自の購買規定と承認プロセスを作って管理していました。社員が少ない組織であればそれでも問題ありませんが、マイクロソフトの日本法人は世界で2番目に大きい拠点で2千人を超える社員が働く規模に成長していましたので、集中購買部門を作る必要があったのです。マイクロソフトのことを何も知らない新参者が新しい組織を作るなんて古くから日本法人を支えてきた社員の皆さんにとっては奇妙に映ったことでしょう。でも、多くの社員から協力を得られましたし、当時の部下達に助けられて何とか部門としての形を作ることができました。そして、次に購買と共通するところがある総務も担当することになったのです。総務はもともとファシリティ管理と庶務が中心で、それに購買部門をくっつけると派遣社員や契約社員を含めて50人以上の組織になりました。総務の仕事は初めての経験でしたし、購買部門もまだ出来立てほやほやでしたので、結構苦労したことを思い出します。それから数年後、総務も購買も私があまり自分色をつけ過ぎたために、そろそろしっかりした人にポジションを譲るべきか、と考えて次の展開のことを考えていました。いよいよレストラン事業に着手するか、と思っていた矢先に世界規模のお客様を担当するグローバル営業本部から声をかけていただき、営業に転籍となりました。本部長から「君はちょっと英語ができたよね」というのがグローバル営業本部に拾ってもらえた理由の1つかもしれません。昔からの営業畑ではないものの、某自動車会社の担当になって約1年にわたり名古屋と東京とを往復する生活をしました。そのようなわけでマイクロソフトでもいろいろな経験をさせてもらいましたが、最初に思っていたような「ソフトウェアがハードウェアを引っ張っていく」というシンプルな私の考えが必ずしもそうではないことがわかりました。確かにフロッピーを差し込んでいた時代から考えると格段に進歩しているわけですが、今からソフトウェアが100倍進歩してもそれを使う人間が使いこなせない。今持っているソフトも使いこなせていないのに、新機能を盛り込んでもマニア以外には振り向いてもらえません。そうなるとハードウエアの進化はソフトウエアを追いかける形ではなく、もっとユーザビリティを意識した人間工学的な方向に向かっているように思いますし、ソフトウエアも踊り場を迎えようとしているのかもしれません。そういう状況から、「今がレストランをやる時だ」と思い立ったのです。

知世:
結婚した当時から「将来はレストランをやるんだ」と言ってましたが、それは本当に漠然としたものだったんです。やろう、となった時は、私は留学するような気持ちで1年やってみて、だめだったらその時に考えよう、そういうスタンスでした。

浩一郎:
いろいろなところで働きながらもレストランはずっと頭の中にあったのです。幼い頃から食べることが好きで、いろいろな国への出張を通していろいろな物を食べましたし、取引先との接待でも東西のトップクラスのレストランで最高の味を経験させてもらいました。東京の料理はある意味で世界一だと思います。お金を出せば世界で最高級のものが食べられますし。また、我々は旅行が好きなので、あちこちでおいしいものを食べるのが楽しみの1つ。旅行の2〜3週間前から「あれを食べるぞ!」と気合を入れて計画するくらいです(笑)。どうしてもレストラン経営をやってみたい、という夢を実現させるには「今しかない・・・」と思って決意することになったわけです。


シアトルに決められたのは何か理由があるのですか。

浩一郎:
マイクロソフトの出張でシアトルにはよく来ていました。人が優しく、クリーンなイメージがあり、住みやすくて治安も悪くない、という理想的な環境だったので、レストラン経営にはシアトルしか考えられませんでした。また、西海岸ですからロチェスターみたいに遠くありません。東京は競争が激しく、テナントの家賃も高いので立ち上げが大変ですし、資金的にも将来の横展開が難しい。しかし、アメリカはアメリカン・ドリームというぐらいですからうまくいけばチェーン展開も含めて拡張性があると思いました。ロクに勉強もせずにそう勝手に考えていただけなのですが・・・。また、毎日100通を超えるメールに目を通さなければならないような生活にも少々疲れを感じていましたし、「そろそろ自由になりたい!」というのが私の希望でした。

知世:
私は1人っ子ですし、母が数年前に亡くなったので、父が1人になるからどうしようと思いました。もう87歳ですし足も悪いので、本当に1人ぼっちなら連れてくるか、または私が日本に残るしかない、と考えていました。しかし、父親にはその後ガールフレンドができまして、そのおかげで私はこちらに来れたんですよ(笑)。でも、レストランの話が出てから仕事を辞めるかどうかの決断は、私は早かったですね。やめちゃおうかと言い出して、私の方が先に辞めました。会社の人には「3ヶ月休んでいいから考え直して」と言われたりしましたが、あっさりと辞めてしまったのです。

浩一郎:
自分のための仕事をやりたくなったというのが本音だと思いますよ。会社員として働いていても年俸が常に上がり続けるわけではありませんし、自分は年を取っていく・・・。 そんな時に、あるドキュメンタリー番組をNHKで見たのです。アメリカのビジネスマンもめちゃくちゃ忙しく、一生懸命仕事をし、いい家を買うんだけれど解雇されたりするとその家も維持できなくなってしまう。ラット・レース、つまりねずみが檻の中で円形の回転はしごの上を走り続ける様子のことですが、生活を維持するために途中で足を休めることができないビジネスマンにも共通する点があるような気がして身につまされました。

知世:
その頃と言えば、2人で一緒の家に住んでいるのに、お互いに言うことは「おはよう」と「おやすみ」だけ。会社で夜遅くまで働いて午前12時とかに帰宅するような毎日で、一緒に食事をして「おいしいね」とか言いながらも仕事のことを考えて会話もできていない状態でした。そして、どんどんメールが入ってくるので、いったんコンピュータをつけてしまうと仕事が始まってしまい、土日も仕事をしてしまう。ですから、そろそろそんな生活じゃなくて自由に生きてみたい、そういう気持ちがありました。


なぜChez Shea/Shea's Lounge を買収されたのですか。

浩一郎:
一般的に、日本人だったら和食店を立ち上げますよね。しかし、そうすると採用する人材もお客さんも決まってしまいます。当初はしゃぶしゃぶ店をやりたいと思っていましたが、しゃぶしゃぶはシアトルではまだ馴染みがないのでリスクが大きすぎると判断しました。まずはアメリカ人が経営するフレンチかイタリアンの店を探してそこをそのまま買収し、とりあえず収支トントンを目標にしようということになったのです。そうすれば従来から働いている従業員から衛生管理のことや材料の仕入れ、メニューの書き方、ベジタリアンに対する配慮などアメリカのレストラン経営に必要な知識を吸収できます。その段階を経てから次の展開を考えようと思いました。この店を買収した理由は、雰囲気がすごく良いこと。ここを知ったのは、斡旋業者とあちこち買収候補店を視察していた時に、たまたまパイク・プレース・マーケットを通り過ぎたところで「ここの2階にも店があるんだ」と言われたことがきっかけです。何となく気になって、後で妻と食べにきてみたところ、シアトルの歴史を感じさせる暖かい雰囲気が気に入りました。パイク・プレース・マーケットと言えば観光地ですから、目立たない2階でも隠れ家的レストランとして十分やっていける、と思ったのがこの店に決めた大きな理由です。

知世:
たくさん見た中で消去法をとっていったのですが、他にここぐらいにいいところがなかったというのもあります。

浩一郎:
また、業者から提示された店の買収額が投資家ビザ取得に必要と思われる額を超えてたことと、その額が手持ち資金の範囲内に収まっていたことも理由の1つです。


Chez Shea/Shea's Lounge を買収するまでのことを教えてください。

浩一郎:
シアトルに引っ越す前に、妻とよくこちらに旅行しては、いろいろなレストランを探して歩きました。業者に依頼して紹介してもらったりして、結局40店舗ほど見ましたね。シアトルと比較するためにロサンゼルスにも行ったりしましたが、「やっぱりシアトルでやろう」と決めました。調査から買収完了までにかかった期間は3ヶ月ぐらい。最後の1ヶ月は契約前の細かい打ち合わせのためにシアトルに滞在しました。投資家ビザですから、契約が完了しないとビザを申請することはできません。その時は既にマイクロソフトを退職していましたが、9・11以降はビザ発給が制限されていましたから、ビザが取れなかったら転職するしかないという状況でした。運良く契約が順調に締結され、エスクローに買収金額を入金し、大家であるパイク・プレース・マーケットとの契約もほぼ完了させ、関連書類を分厚いファイルにまとめてビザの申請へ。ビザが取れなかったら入金した資金をエスクローから返金してもらい、全てを白紙に戻す、という契約条件でした。ビザ申請を依頼した弁護士が楽観的な人で「ビザは1ヶ月ぐらいで取れるんじゃないか」と言っていましたので、申請してから2ヶ月目に突入した時はとても心配しましたね。日本のアメリカ大使館はアメリカの休日と日本の休日の両方を休みにするため、申請したのが師走という状況を考えると、2ヶ月ちょっとでビザが下りたのは実はかなりラッキーだったようです。無事にビザが下りた去年の2月にこちらに引っ越して、3月1日に正式に当店のオーナーになりました。


シアトルに引っ越すにあたって不安はありませんでしたか。

浩一郎:
日本からシアトルに来るにあたって不安はありませんでした。風光明媚なベルビューにアパートを借り、東京から到着して入居した当日にケントのIKEAで家具を買って組み立て、簡素ながらアメリカでの生活が始まりました。当時一番不安だったのは、アメリカ人が経営していたレストランを日本人が買収することで従業員が納得するかということと、常連客が遠のいたらどうしよう、という点でした。英語で仕事をするということには慣れていましたから、以前から働いている従業員を集めてプレゼンテーションを行い、「私たちのプロフィールはこうです」、と話しました。私たちは前のオーナーがせっかく20年も培ってきたものを壊さないようにしようと思いましたし、それも伝えました。最初からみんなに嫌われてしまったらおしまいですからね。

知世:
特に買収した直後の3月と4月は売り上げがとても低迷しました。ですから「やっぱり日本人が買収したことが広まって、それでみんながそっぽを向いているんじゃないか」などと真剣に思いましたよ。また、古い道具や設備が少なくないので使っているものがたて続けて壊れたりして・・・。それぞれは少ない額でも、あわせればたいそうな額になります。ですから、売り上げが低迷しているのに出費が嵩み、「レストラン経営ってとてもたいへん」と思い知らされました。

浩一郎:
おそらく「オーナーが新しくなった」という噂が流れたと思います。そうすると「経営がうまくいってなかったから手放したんじゃないか」と考えがちですよね。また、隣にあるレストラン 『マッツ・イン・ザ・マーケット』 がサンセット・マガジンで大々的に書かれて大賑わい。連日連夜満席なのに、こっちはガラガラ、という日も少なくありませんでした。そのようなスタートで、3月と4月はひどかったです。5月ぐらいから前年比でトントンになりましたが、広告宣伝費や家賃の上昇分を差し引けば商売としてはやっていけません。でも試行錯誤しながらもいろいろと工夫したことが功を奏し、6月から前年比を抜いていきましたね。


経営者になられてから、何らかの工夫をされたことがその売り上げ増につながったと思われますか。

浩一郎:
当初は、「日本人が買収したんだから何か少し日本的なものを出すべきか」と思い、いろいろ試してみたのです。例えば刺身のようなものとかですね。しかし、ここに来るアメリカ人は、日本的なものを全く期待していないので箸をつけない。オリーブ・オイルなどを使ってレシピをアレンジしても、「わざわざそんなものを食べに来たんじゃないから・・・」という認識があるのでしょう。生の魚が食べたい人はお寿司屋さんへ行きます。すごくおいしいものを出しても、それだけがお客様を引きつける理由じゃないということがわかりました。その店の雰囲気、サービス、料理の斬新性、お皿やグラスなどの洗練度、知名度など多くの要素がレストランの良し悪しを判断する基準になります。そんなわけで単純に日本の味をメニューに加えるのではなく、「素材を活かす」という日本料理の基本をコンセプトにするようにしました。最高の素材を使うことと素材本来の風味を損なわない味付けにこだわるというやり方です。それを当店のシェフがうまく展開してくれ、日本人でもアッサリ食べられる料理を出せるようになりました。油とソースにまみれた料理は当店にはありません。それからもう1つ。ラウンジの売り上げを伸ばしたことが大きな変化だったと思います。買収した当時、ラウンジは「飲むだけ」の場所でした。飲む客といっても下手すると2〜3人のお客様がビールを飲むだけでその日はおしまいという感じで、バーテンの人件費すら稼げない状況でした。そこで、ラウンジの食事メニューを充実させ、「ここは飲むだけではなく、おいしい料理も食べられる場所」と積極的に宣伝し、徐々にイメージを変えていったのです。ラウンジで食事をしたお客様が「今度はダイニング・ルームでディナーを食べよう」と思ってくれるようなショーケースにもなってくれますので。今ではラウンジの売り上げはおそらく前年比30〜50%増、ダイニングの方もそれにつられて平均的に上がっています。


現在の営業状況について教えてください。

浩一郎:
妻が米国公認会計士であることが大きな支えになっていると思います。経理・財務関係、フロア関係のオペレーション管理はすべて彼女がやっています。私は物作りが好きなのでキッチンを手伝うことと、マーケティングやウェブサイト作りを担当しています。やはりレストランですから、サービスの品質は大事ですね。イライラしているお客さんなどを見かけると、妻が飛んで行ってちょっとした一言で雰囲気を和ませてくれています。日本人ならではのホスピタリティを披露できる貴重な瞬間ですよ。

知世:
シェフもサーバーも基本的に以前からの人がきちんと働いてくれています。強みはマネジャーが21年、ヘッド・サーバーが17年もこの店にいるということ。長年の経験者達が残っていてくれる限りは大丈夫だと思いますが、私はイライラしているお客さんのことはすぐにケアするようにしています。自分でも経験がありますが、サービスが無礼だったり、店の従業員に無視されたりすると腹が立っておいしい料理もまずく感じてしまいます。一旦そうなってしまうとそのレストランでのことは全てが悪い印象として残るものです。

浩一郎:
私もそう思います。逆に本当に食事を楽しんでおられるお客さんはその人の持つ寛大で穏やかな面を見せてくれます。女性は淑女に、男性は立派な紳士として振舞ってくださるわけです。それぞれのお客さんがベストな自分を演出したくなるようなきめの細かいサービスを心がけたいですね。妻がそういう気配りしているところをサーバーも徐々にわかってくれるようになりました。

知世:
英語で苦労することはありますが、当店のサーバーとはとても通じています。

浩一郎:
最近は喜んでくださるお客さんが増えてきていると思います。レストランは口コミが大切ですから、これからも一人一人のお客さんに心のこもったサービスを提供していきたいですね。それでメールを使ったニュースレターも始めました。


これからの抱負

今後の抱負を教えてください。

浩一郎:
妻が1日・1ヶ月・1年といった単位で店のセールスに関して細かい計画を立てていますので、それを着実に達成していくことが重要です。紙媒体の広告は売上金額以外に効果を評価する方法がありません。複数の広告を打っていますが、どの媒体がどれだけのお客様を呼び込んでくれたのか、ということについてはなかなかつかめないものです。ですので、これからは紙媒体の比重を小さくしてオンラインでの広告で露出を上げる方法に重点を置くつもりです。また、PR会社と契約してパブリシティへの露出を上げるなど、マーケティング活動にもっと力を入れたいですね。2号店をオープンするなどの横展開も検討していますが、環境要因やテロの可能性、地元産業の業績への依存性などを考えると同じ町でレストランを複数持つというのは危険だと考えるようになりました。経済が傾くと最初にカットされるのが外食です。今後のプランですが、レストランビジネスの横展開は少し待って、レストランとは違った事業を立ち上げるという案が1つ。もう1つは将来チェーン展開できそうなレストランビジネスの構想が描ければ州内外を問わずにそれに着手するというものです。しかし、まずは今のレストランを安定させることが最優先。どのような展開になるにせよ、妻が公認会計士で数字に明るいのはとても強いことだと考えています。

知世:
レストランはやることはたくさんあり、限りがありません。これからもいろいろなことをやりながら学んでいくつもりです。でも、上に使われているわけじゃないし、レポートを明日出さなくても私が困るだけ。ですからそれをしなくたって明日の朝早くおきてやればいいかという自由があります。自分で自分のためにやる仕事なので、逆にとてもやりやすいです。

浩一郎:
また、小さい規模でありながら、やっていることは大きな製造業の会社と基本的なプロセスは同じです。私がレストラン経営を始める前に経験したことの多くが活きています。私にとってレストラン経営はまだ序の口、もしかするとレストランの真髄のようなものはずっと掴めないかもしれません。でも、それはシェフが知っています。ですから、彼らと私はお互いに教えあい、お互いのいいとこどりをしていければいいですね。レストランの仕事でちょっと疲れた時や余暇を楽しみたい時はワシントン州の大自然に触れるのが一番です。マイクロソフトの当時はイーストサイドとダウンタウン・シアトルを往復する程度の範囲でしか行動しませんでしたが、住んでみて「ワシントン州は、こんなに美しいところなんだ」と発見できた時は嬉しかったですよ。

知世:
私も同じです。アメリカにいるんだからもっとアメリカを知ろうと思って州外に行こうと思っていましたが、州内にもたくさんの見所がありますよね。だから州外よりもまず州内でいろいろなところを見なくては、とあちこちに出かけています。

浩一郎:
サンファン諸島やオリンピック半島なども行きましたし、これからはヤキマへ行こうと考えています。大自然を楽しむということに関しては飽きないと思います。


ありがとうございました。


 
1982年-1988年
日産トレーディング株式会社

1988年-1998年
イーストマン・コダック・ジャパン

1998年-1999年半ば
デル・コンピュータ・ジャパン

1999年半ば-2003年8月
マイクロソフト株式会社

2003年9月-1月
シアトルのレストラン調査・各種契約

2004年2月
シアトルへ引越し

2004年3月
Chez Sheaを買収完了、経営者として現在に至る

Chez Shea
夕日に照らされてロマンチックな店内



www.chezshea.com


井川さんご夫妻に初めてお会いしたのは、昨年お2人が日本から移住して来られた直後のこと。その頃から、日本での長いキャリアを経て、創業20数年のChez Shea/Shea's Loungeを買い取られたまでの経緯やその後のことを、1年後に伺えるといいなと考えていましたが、それがついに実現することとなりました。いろいろ大変なこともあるだろうと想像できますが、お2人がいつも笑顔で、いつも "改善" を心がけて進んでいく様子は気持ちのいいものがあります。これからも応援しています。


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