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今月は、シアトルで結婚式を挙げる日本人カップルのサポートを行うシアトル・ウェディング・デー社の河村麗子さんにお話を伺いました。
渡米

渡米のきっかけを教えてください。

夫がワシントン州東部ヤキマ市の先にあるグランビュー市に果汁の会社と工場を設立したことがきっかけで、当時9歳だった息子も連れて渡米してきました。もともと日本の青森と山梨に工場があるのですが、果物の収穫高が減少する一方であることから、農業の盛んなワシントン州東部に目をつけたというわけで、今では日本の大手の会社の商品に、その会社で作ったワシントン州の果物や野菜が使われています。

ところが、2年後に夫が末期ガンと診断されてしまい、その半年後に亡くなってしまったのです。私は40歳を過ぎてからのアメリカ生活でしたから英語もままならず、親子2人でこれからどうしようかと悩みましたが、息子自身はこちらの生活が気に入り、「どうしてもこっちにいたい」と言いました。「父親の意志を継いでアメリかでがんばっていきたい」という気持ちが息子にはあったようです。私も性格的に前向きな方なので「じゃあ残ってがんばってみよう」と、アメリカにとどまる決心をしました。


ベルビュー市に引っ越されてきたのはその後なんですね。
グランビュー市の気候は夏は100度、冬は氷点下で積雪という厳しいもので、当時はとても田舎でしたから日本人はおらず、幼い子供を抱えての生活は難しく思えました。息子は父親との思い出のあるグランビューが大好きで「残りたい」と言いましたが、会社を夫の親戚が操業することになり、私たちは夫の眠るベルビューの墓地の近くに引っ越してきました。今から思えばいろいろと大変なことがありましたが、いつも前向きな気持ちを忘れずに、なんとかここまでやってきました。


起業

ベルビューに引っ越されてきてから起業までのことを教えてください。

ベルビューに来てからは、「英語を勉強し、何か身につけなければ」と思い、ベルビュー・コミュニティ・カレッジで英語のクラスを履修した後、ABC Aesthetics NW Institute でスキンケアとネイルケアのプロフェッショナル・ライセンスを取得しました。


もともとそういったことに興味があったのですか。

私は画家や文学者に囲まれて育ったためか、幼いころから手で何かを作ることが好きです。明治生まれの祖母は女流画家として知られる深沢紅子(ふかざわ・こうこ: 1903〜1993)で、祖父は童画画家で 『赤い鳥』 などの挿絵を描いた深沢省三(ふかざわ・しょうぞう: 1899-1992)なのですが、私は幼いころから祖母の絵のモデルになっていました。また、日本史の歴史家で児童文学者でもあった父は童話を書いていましたが、小学校で絵を教えていた母と一緒に児童文学を出版したりしていました。また、両親は料理やインテリアを自分たちで手がけ、当時は物がない時代でしたから、姉と私の洋服は中学生になるまですべて母が手作りしてくれました。そんなことから私たちは洋裁ができるようになった中学時代から自分たちでデザインした自作の服を着て通学していました。姉はデザイナーとなり、私自身はと言えば、日本で大学を卒業後、ファッション、美容関係、セレクト・ショップの経営を経て有楽町西武広報部に勤務しながら子育てをしていました。また、兄も画家となり、もう30年以上もフランスで作家活動を続けています。


プロとしてのライセンスを生かした会社を発案されたきっかけを教えてください。

ベルビューの学校を卒業後、若い女性たちとお友達になり、一緒に料理をしたりビーズのアクセサリを作ったりするようになりました。そうこうするうちに、ここでご結婚される方々から式の会場やドレス選び、髪やメイク、ブーケの相談を受けるようになったのです。最初はボランティアでお手伝いをしていましたが、ある日、腰を痛めてしまい、半年間寝たきりのようになってしまいました。そうすると息子が「お母さん、大丈夫、僕が一生面倒を見てあげるから」と言ったのです。息子は言ったことは必ず実行する子なので、逆にその一言が「このままでは息子が自分の人生を生きることができなくなってしまう」と私に思わせ、「また元のように健康にならなければ」と自分を動かすエネルギーが生まれました。その時に、私がウェディング・コーディネーターをしている夢を見たのです。息子に「こういう夢を見たんだけど、お母さんにできると思う?」と聞いたら、息子が「今までやってきたことがすべて合体したような仕事じゃないか。やってみたら」と言ってくれたのです。じゃあそれを会社にしようということになり、会社を設立しました。


現在の業務

ウェディング・コーディネーターという仕事の内容を教えてください。

ハワイやロサンゼルスでの結婚式のように、結婚式をするためにシアトルに来られるお客様を想定して会社を設立しました。しかし、蓋を開けてみるとご主人のお仕事の都合で数年滞在するために日本で入籍だけ済ませ、家族や親戚を日本から招待して観光も含めた結婚式をするという方々も全体の約半数おられます。

だいたいのケースでは約半年前にご連絡をいただき、式の当日まで毎週のように相談したりおしゃべりしたりして計画を立てていきます。お客様は私の娘や息子とほぼ同年齢の方々ばかりなので、まるで自分の子供と一緒に式を作り上げていく感じ。基本的なパッケージを用意はしているものの、ご夫婦のご希望・ニーズ・予算にあわせた、本当に最良の日にしてあげたいと思っていますので、パッケージは形だけで、実に細かいところまでカスタマイズしているのです。そこがハワイなどでの一般的な結婚式パッケージとは異なるところ。例えば、花嫁が持つ大切なブーケは、「このパッケージではこれのみ」とチョイスを与えないのではなく、どのような花が好きか、嫌いな花はないか、とまで聞いて作りますし、バックグラウンド・ミュージックは好きなピアノ曲を入れますので、準備にはキリがありません。でもやはりみなさんが喜んでくださいますので、してあげたくなってしまいます。友人からは「どこかで線引きをしないと体が持たないよ」と言われ、頭ではそれはわかっていますが、これまでこのやり方で来てしまいました。結婚式はとても幸せなもの。これはその幸せを分けてもらえるいい仕事です。と言っても私自身は「仕事」と言うのは嫌いで、どうしても「お手伝い」と言ってしまうのですが、その幸せ作りを手伝わせていただけるのはとても幸せなことです。


新郎新婦の希望が優先できるというのは新しいやり方ですね。

大手の会社のような10分刻みのスケジュールではなく、シアトルならではのゆったりした結婚式をしてさしあげたいと考えています。昔の日本ではホテルで何百人も招待して数時間にわたってすわったまま話を聞き、スモークやゴンドラ、キャンドル・サービスという結婚式がほとんどだったと思います。また、地方では今でも昔ながらの形式に沿った結婚式がまだまだあるでしょう。それも大切な方法ですので、私は批判するつもりはありません。でも、最近は時代も変わり、主役である新郎新婦の希望に沿った結婚式をすることが多くなってきています。アメリカでは豪華な邸宅を借りたり、レストランやホテルのスイートを借りたりして行う結婚式はとても一般的ですが、日本でも数年前から "ハウス・ウェディング" と呼ばれる式用の庭やプールつきの家を借り、結婚式から披露宴まで行うところが出てきています。向こう3年まで予約でいっぱいだそうですよ。


日本人がシアトルで挙式する場合、大変なことはありますか。

日本から来られてシアトルで結婚式を挙げたいという方々の場合、参加者は多くても20〜30人。当初、こちらのカメラマンやリムジン会社、ヘアメイクからピアノ奏者は、少人数の結婚式にはいろいろな面で協力的ではありませんでした。でも去年ぐらいからやっと私のしていることを理解してくださり、いろいろな条件やリクエストを出してもカスタマイズに応じてくれるようなっています。みなさんに恵まれて仕事ができていて幸せだと思います。


日本から来られる方のサポートはどういうところがユニークなのでしょう。

こちらに滞在されている方々はシアトルをご存知ですから、いろいろなご希望をいただきます。一方、日本から来られる方々はシアトルをまったくご存知ない方々がほとんどです。例えばスターバックスやマリナーズを知って、「シアトルで結婚式をしたいな」という方々にとっては何もかもわからない状態。数年前まではワシントン州もワシントンDCも同じところと誤解されているぐらいでした。そこで私がお手伝いするわけです。「シアトルで結婚式を挙げたいと思っているのですが」というメールをくださる日本の方々はできるだけこちらの情報を差し上げて、シアトルをわかっていただいてから結婚式の準備に入ります。日本とアメリカのシステムの違いなどでできないこともありますが、前述のとおり、去年ぐらいからアメリカの会社が協力してくれるようになり、以前よりも楽になりました。例えば、結婚式を終えてから1週間ほどシアトルを観光して日本に帰国される場合、「すぐに写真が欲しい、ネガも欲しい」と言われます。しかし、アメリカではネガを無料で提供するカメラマンはほとんどおらず、ネガを購入できるのは撮影日の2年後からというのが普通です。また、「アメリカは日本と比べて物価が全般的に安い」と思い込まれているふしがありますが、それは事実とは異なりますね。ですから「写真の予算はこれだけ」と決めておられると、それにあったカメラマンやビデオの方を探すのが難しくなります。でも、最近は私のお客様のことを理解してくださり、懇意にしているカメラマンならネガもくださいますし、リクエストどおりのビデオも写真も撮影してくださるようになりました。こんな小さな会社なのにそこまでお願いして申し訳ないのですが、みなさんのそういったご協力があって、4年目を無事に乗り切ったところです。


シアトルは初めてという方には、結婚式以外の面でもいろいろお手伝いをされるのですか。

私はアンティークや料理が好きなので、アンティークにご興味のある花嫁さんとアンティーク・ショップめぐりをしたり、私の自宅で一緒に料理をしたり、お菓子を焼いておしゃべりやお茶を楽しんだりと、結婚式の前から関係が始まります。そして、日本から来られる方々にはこちらの情報を提供します。中には観光も手伝ってほしいと依頼される時がありますが、その時もできるだけご一緒させていただきます。結婚式が終わってからも連絡をとりあい、日本に行った時はお客様と再会することもあります。お子さんが誕生すると写真を送ってくださったり、お仕事でシアトルに来られるとご連絡してくださったり、私やスタッフをいつまでも忘れずにいてくださることがとても嬉しいです。また、ブライダル・エステを受けられた方が、挙式後もエステを続けてくださるケースも増えています。


お客様との関係作りを大切にされているようですね。

通常、私の仕事は結婚式が主。準備をし、当日は式が終わるまでお手伝いします。でも、今年はある結婚式で変わったことがありました。出席されたギリシャ人の男性が「明日、新郎新婦とそのご家族と親戚を招待して、ギリシャ料理をご馳走したいので、その準備を手伝ってくれませんか」と言われたのです。ですから式の翌朝も早起きし、みんなでギリシャ料理を10品ほど作り、みなさんと一緒にランチをいただきました。とても楽しかったです。こんなことがまたできればいいなと思いました。


今後の抱負を教えてください。


一昨年、結婚式が詰まっている夏に我が家の台所の天井裏から漏電による火が出て、1階をすべてリモデルしなければならなくなりました。私は3ヶ月に渡ってホテル住まい。部屋に台所がついているとは言え、必要最小限のものだけを持って仕事をするのは大変でした。でも、その時に同じくウェディング・コーディネーターのアメリカ人女性と偶然知り合いになり、事情を理解して協力していただいた上、ウェディングに必要な物もすべて貸してくださいました。おかげで大変な時期を無事に乗り切ることができました。スタッフもみんなとてもがんばってくれましたし、助けてくれました。皆の温かい気持ちに支えられて今日まで来られたことに感謝し、今後も幸福作りのお手伝いをしていきたいですね。

また、もっとシアトルらしい結婚式を新郎新婦と一緒に作り上げていきたいですね。昨年は他社とタイアップして数々の結婚式を行いましたが、今年はハワイやカナダでもシアトル・ウェディング・デーならではの結婚式ができるようにしていきたいと考えています。大手企業が進出しているのでとても難しいと言われてはいますが、がんばってみたいと思います。毎回すてきなカップルに出会えて幸福を分けていただき、本当に幸せです。これからもたくさんの幸福なカップルとの出会いがあることでしょう。スタッフも私もお客様とご一緒にたくさん幸せな気持ちになれるよう、心をこめてお手伝いをしていきたいと思います。


ありがとうございました。


 
1982年-1984年
セレクト・ショップ経営

1984年-1990年

有楽町西武広報部勤務

1990年
ワシントン州東部グランビュー市へ移住

1993年
ベルビューへ引越し

1998年
ABC Aesthetics NW Institute 卒業

2000年
会社を設立、現在に至る

Seattle Wedding Day
花嫁の準備室兼トリートメント・ルーム

Seattle Wedding Day
ワシントン大学での撮影



Seattle Wedding Day


2人で歩む人生のスタート地点となる結婚式は、自分たちで作り上げたい − そんな新郎新婦の強い味方になってくれるウェディング・コーディネーター。しかも河村さんは隅々にまで気配りを欠かさない質の高いサービスを提供され、あたたかい気持ちを忘れないコーディネーターであることが、数時間にわたる会話を通して実感できました。特に、結婚式が終わってからもお客様と関係が続けられるというのは、お客様が満足している証拠。人と人との関係を大切にし、誰かを幸せにすることができる心優しい人が存在することに安堵を覚えました。


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