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日本の大学を卒業後、イトーヨーカドーに就職。その後、偶然見つけた新聞広告がきっかけで渡米した先で統合教育に出会って開眼。7年後の今はベルビュー学区で障害児教育を担当されている、森下麻実子さんにお話を伺いました。
渡米

まず、イトーヨーカドーでのお仕事について教えてください。

大学卒業後にイトーヨーカドー社に就職して担当した最初の仕事は、スーパーマーケットでの販売でした。フルタイムで男性と同じように働いて同じような昇進をしたいと思っていたので、それが可能な会社ということが入社の大きな理由でした。高校生、大学生のころからアルバイトでさまざまな接客業を体験してきて、人と接する仕事をしたいと思っていたことも理由のひとつです。ですから、仕事の面では自分自身の希望とは合っていたはずですし、いろいろな人の日常生活に関わり、何か手助けができるその仕事は自分の希望にかなったものがありました。


その希望にかなった仕事を退職されることになったきっかけは何ですか。

半年ぐらいしたころ、職業欄に "会社員" と記入することにふと「自分の職業とは何だろう」と疑問を覚えたのです。「会社員として、どんな仕事をしているの?」と聞かれれば、「販売と流通業です」と答えていましたが、「自分には専門性がまったくないのではないか」と大きな疑問にぶちあたりました。専門性を身につけるためにはどうすればよいのか、また、流通という仕事を自分の一生の仕事にしていけるのかと考えるにつれ、気づいたことがありました。現在の販売部門から異動して他の部署に就いたとしても、流通業である会社にとって大切なのは1枚でも多くの服を売ること、1個でも多くの食品を売ること。どんな部署でもそれによって給料を得ているのだと思った時、「私はそこまで流通という職業が好きなのか?なんだかちょっと違うような気がする」と思ったのです。でも、他にどのような仕事に就いたらいいのかはわからなかったので、それなら3年間働いてからまた考えてみようと決めました。せっかく就職したのに何もわからずに辞めるのは悔しいと思ったからです。3年間一生懸命働いたことで多くを学ぶことができ、会社で働いた経験は今でもとても役に立っています。


そこで海外インターンシップを選ばれたのはなぜですか。

入社して3年後、「今年こそ退職して、自分が本当にやりたいことを見つけよう」と思いたち、英語を話すことができれば世界が広がっていくだろうという理由から留学を決心しました。でも、学びたい分野が決まっていたわけではなかったので、語学留学になってしまうとあまり変わった点がないのではと考えていたところ、子どもたちと遊んでいる日本人の方の写真を使った海外インターンシップ・プログラムという広告が目に飛び込んできたのです。そこで、「これにしよう、子どもたちと遊ぶのも楽しそう」と申し込みました。このプログラムでは自分の行きたい場所を指定できるわけではなく、希望する国、そして小学校か中学校といった学校のレベルを選ぶようになっています。私の場合、「アメリカの小学校」と書いたら、たまたまベルビューの学校に来ることになりました。


初めての海外インターンシップはいかがでしたか。

渡米当初はサマセット小学校に2ヶ月ほど滞在しました。ボランティアと言えば聞こえがいいですが、実際は子どもたちとちょっと遊んだり、折り紙を教えたりという簡単な内容です。あの頃はまだ英語をあまり話すことができなかったので、子どもたちが言っていることもわからず、私が言っていることも理解してもらえずという状態でした。ですから、先生方と会話もできずにいました。でも、アメリカの学校がとてもめずらしく、新鮮でしたね。自分が受けた日本の教育とはまったく違っていたので、驚くことが多かったです。例えば学校でおやつの時間があるのにも驚きました。日本では学校の関係でおやつを食べるのは遠足の時ぐらいですよね。また、授業中にも自由にトイレに行ったり、あちこちにグループ用の円卓が置かれていたり、読書の時間は床やソファに座って読んだりするなど、リラックスしていました。


ライフワークの発見

大学院では特別教育を専攻されたわけですが、その専攻を選ばれたきっかけは何でしょうか。

サマセット小学校でインターンシップをしていた当時、印象に残るお子さんがいました。彼は私によく話しかけてくれて、いろいろなことを教えてくれるのに、友達とよくケンカをしているのを見かけ、どうしたのかなと思っていました。さらに、インターンシップ中には、学習に遅れがあるお子さんや、その他のサポートが必要な子どもたちを教えるリソースルームや、ESL、才能開発教育などを見学させていただき、いろいろな子どもたちを対象にした授業があることを理解しました。その中で、障害のある子どもたちに出会ったことがとても印象に残りました。私の場合、日本での学校生活では障害のある友達がいませんでした。障害のある友達がいなかったというよりも、学校自体に障害のある生徒がいなかったので、接する機会がなかったのですね。障害のある人に初めて接したのは大学生時代のボランティア先でしたが、自分が今まで接した経験がない情緒的、身体的な障害のある方だったので、友達になりたいものの、優しくしなくちゃなどという同情のような気持ちではいけないと思うと、どうしていいかわからなくなってしまった経験がよみがえりました。そして、障害のある子どもたちについてもっと知りたいと思うようになったのです。


どのようにしてそれを実現されたのか教えてください。

ワシントン大学に通学していた知人から、障害のある子どもたちとそうでない子どもたちを一緒に教育する統合教育を実施している同大学付属の幼稚園 『Experimental Education Unit』(EEU)について偶然教えてもらい、早速電話をかけてボランティアとして採用してもらいました。そこでは本当に広い範囲でいろいろな子どもたちに会うことができ、「うわぁー、今までこういう統合教育を考えたことがなかった、いいなあ!」と思ったのです。


それが統合教育を考えるきかっけとなったのですね。

そうです。「一緒に学べるというのはとてもすばらしいことなのではないか、幼い時から統合教育をしていれば、社会の中でもいずれもっと自然に協力して助け合っていけるのではないか、いつか統合教育を実現させるぞ」という高い志を持つようになったのです。EEUはワシントン大学大学院出身の方が多く、同大学院の障害児教育オフィスに問い合わせてみたらと提案され、さっそく話を聞きに行き、願書をもらいました。アメリカの大学院の専攻は大学の専攻と同じでなくてもかまいませんし、大学は出ているのだから次は大学院が当たり前と言われたものの、私は日本で教育を専攻したわけでもありませんから、最初は大学院なんてとても自信がなかったのです。でも「がんばってみれば」と励ましていただいて、自分で本を買ってきてTOEFLとGREの勉強をし、エッセイを書きました。当時は英語が上手くなかったので、本当にいろいろな人に助けてもらいましたね。さらに、障害児教育専攻の教授に電話をし、「日本で統合教育を始めたいので、この大学院で学ばせていただきたい」と話してエッセイを読んでいただいたりしました。そして、翌年の1998年3月に願書を提出して日本に帰国しましたが、無事に合格通知を受け取ることができ、1998年9月からワシントン大学大学院の修士課程で障害児教育専攻(special education)をスタートしました。


どういった勉強をされたのですか?

今まで学んだことのないようなことがほとんどでした。これは入学してからわかったのですが、修士課程なのでクラスメートの80%以上が現役の先生。数年にわたる経験があり、授業で学ぶ理論にあわせてどのように教室内の問題を解決するかという実践的な態度で挑んでおられるわけです。ですから、「こういうことを学ぶんだ」というよりも、「学ぶことによって、今ある問題をどのように解決し、より上手に教えていけるか」という姿勢がほとんどで、とても驚きました。私は「何も知らないので、一から学ぼう」と思っていたところがありました。でもみなさんはほとんどわかっていらして、ディスカッションなども自分の実践例をもとに話ができていましたが、私は英語が苦手という以前に話す実践例もなく、そのようなわけで、最初は自分が半人前以下のように思え、「ああ、がんばらなきゃ」と思ったのを覚えています。


理論以外では教育実習もされましたか。

そうですね。理論もたくさん学びましたが、やはり印象に残っているのが、実際に1人の生徒のケース・スタディをするなどの教育実習やプロジェクトです。それらを通して、実際に生徒と接しながら、「どうやったらもっとうまく教えられるのか」「この生徒にこのスキルを学んでもらうのはどうしたらいいのか」ということに力が入りました。後は、データの大切さを実感したことも実習のおかげです。進歩を計るのはなかなか難しいのですが、「とても進歩した」と言っても、「何がどのように進歩したのか」と聞かれたら、客観的に説明するのはなかなか難しいもの。ですから、毎日「今日はこれがこれぐらいできた」というデータをきちんと記録する必要がでてきます。そういったデータの精密さに圧倒されました。


同様の修士課程に進むことを考えておられる方へのアドバイスなどはありますか。

理論を学ぶことも大事ですが、理論は使うことができて初めて生きてくるということを実感しました。ですから、修士課程が始まってからも1つでも多くの経験を積むことが大事だと思います。私も自分に経験がないことは大学院時代にわかっていましたので、とにかく実習やボランティアをしました。また、あちこちの学校に直接電話をかけたり、クラスメートに頼んだりして、学校見学もたくさんしました。クラスメートにちょっとでも追いつきたい、私もちょっとでもわかるようになりたい、と。特に私はアメリカで教育を受けて育ったわけではありませんので、クラスメートが当たり前に感じることでも私はまったく知らないこともたくさんあるわけです。例えば、学校の行事も日本とは異なりますよね。私の場合、「秋が来たら運動会」などと自分に刷り込まれているものがありますが、アメリカの学校では行事を実施する時期がわからないのです。また、アメリカ人の子どもたちがよく読む本もわからず、どんなことが話題になっているのかも想像がつきませんでした。ですからもっと学びたいと思ったのです。教育実習は、現在の勤務先であるエナタイ小学校の特別教育でのアシスタント。1年にわたって毎日教室でたくさんの子どもたちと接することで、自分が何を学びたいのか考え、その日の大学院での授業の教科書を読むと「これは使える!」とか、「これはこういうことだから、今度はこうしてみよう!」というアイデアが湧いてきました。今から考えると、実際に子どもたちと接していたからこそ、勉強にも熱が入ったのではないかと思います。


現在の仕事

卒業後の就職はスムーズに行きましたか。

アメリカでの就職活動は初めてでしたから、自己PRが難しかったものの、1年にわたりアシスタントをしたエナタイ小学校に就職することができました。これは、このアシスタントだったことが大きな理由だと思います。今はすっかり慣れて問題はありませんが、20代の後半になってから初めてアメリカに来ましたので、当時はまだ英語に自信がありませんでした。意思疎通はできても、先生としてやっていけるのかどうか不安でした。それがわかっていましたから少しでも多く実践経験を積もうとしたのですが、ここでアシスタントとして丸1年間働き、学校の1年という流れを見ることでたくさんのことを学びました。また、その特別教育の担当で今では良き友人の先生がとても気が利く方で、1年間みっちりといろいろ教えてくださったのもとても大きかったです。「私もできる、やってみたい」と思いました。そして、卒業後もこのままここで働きたいと思ったのは、当時実施されていたプログラムは障害のある子どもたちとそうではない子どもたちが一緒に学ぶ、私の目指す統合教育のモデルだったからです。


現在のお仕事について教えてください。

一人一人の子どもにあった年間目標と、それに基づいたカリキュラムを組み、教えています。また、それぞれの生徒がこの1年で何を学ぶことが大切なのか、それをどのように教えるのが最も効果的なのか、と常に考えています。アメリカでは障害児教育に該当する生徒には、必ず年間目標を含めた個別教育計画を組まなければいけないという法律があります。そのための書類作成も仕事の大きな部分を占めます。個別カリキュラムなので、一人一人によって学習内容は大きく異なりますが、生活に役立つ学力と、将来の自立につなげるための社会力を伸ばすことに焦点を置いています。同級生との交流にも力を入れており、障害の有無にかかわらずに、一緒に楽しんで勉強し、仲良くなるための環境作りをしたいと思っています。


出産後、仕事に復帰されて、教師として何らかの違いは感じられますか。

仕事中は先生になっているので、教え方のスタイルはそれほど変わっていないと思います。でも、一人一人の子どもがますます身近に感じられるようになり、もっといい先生になれるといいな、と日々思うようになりました。自分の子どもはどんな小学生になるのかな、などと楽しく想像したりもしています。


仕事と子育ての両立はどのように工夫されているのでしょう。

なんといっても、家族の協力に心から感謝しています。夫は仕事帰りで疲れている時もあるに違いないのに、そんな様子も見せずいつも心よく料理や育児をしてくれます。また、息子はまだ小さいのに長時間を保育園で過ごしてくれています。家事も育児も、特に分担を決めているわけではないのですが、できるときにできる方が、あるいは夫婦で一緒にする、という感じなので、楽しんでできていると思います。不思議なことに、子どもが産まれてからの方が、仕事に対するストレスが減ったような気がしています。仕事で気になることがあっても、家に帰って家族と過ごす時間があることで、気分転換ができているからでしょうか。仕事と両立する上で心がけているのは、工夫というほどでもないのですが、できるだけ焦らずにゆったりした気持ちを持つということ。小さいことにこだわらず、家が多少散らかっていても、その日にやりたかったことが全部できなくても、「ま、いいかなー」という感じで、イライラしないようにしています。仕事でも子育てでも、「あー、こんなにやることがあって、大変大変!」と思うのではなくて、目の前のことを1つ1つ、楽しんでこなしていきたいと思っています。


今後の抱負を教えてください。

時間が限られているからこそ、物事に上手に優先順位をつけて、子育ても仕事も充実したものにしていきたいです。仕事上では、幅広い分野をカバーしながらも、自分の得意分野を絞りこんで将来につなげていきたいと思っています。


ありがとうございました。


 
1994年3月
慶應義塾大学卒業、イトーヨーカドー入社

1997年2月
イトーヨーカドー退職

1997年4月
約1年間、International Internship Programsの文化交流インターンとして、ベルビューの学校でボランティア

1998年9月
ワシントン大学大学院修士課程障害児教育専攻入学

2000年6月
同修士課程修了

2000年9月
ベルビュー公立教育区でSpecial Education Teacherとして勤務を開始

2004年5月
産休

2004年9月
職場に復帰し、現在に至る


生徒さんが描いてくださった森下さんの似顔絵


これも生徒さんが描いてくださった森下さんの似顔絵


さまざまな社会的行動を教えるためのテキスト


King County Journal

発達協会


溢れるような優しさの中に、強い芯が1本通った印象を受ける森下さん。柔らかい声ながらもその熱い語り口調から、想像以上に複雑かつセンシティブな障害児教育に全身全霊で取り組んでおられるのが感じられます。また、毎日のお仕事に加え、日本の発達協会が発行している月刊誌 『発達教育』 で「社会力を育てる 〜 ソーシャル・スキル・トレーニングの実際」を毎月連載されています。なお、今回の取材はまだ生後2ヶ月の息子さん、陽(あきら)君にもご参加いただき、当コーナー初の親子での撮影となりました。


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