ベイジャパンKohtoku Enterprise
シアトル情報ポータルサイトENGLISH会員登録お問合せサイトマップ
今月の特集生活ガイド読み物プロに聞こう!ホット・トークマリナーズ情報イベントカレンダーシアトル子育てネットワークペットと暮らすFindMe!
今日のPICKUPToday's Seattle今日のニュースPhrase of the DayおトクINFO



ショアライン・コミュニティ・カレッジに、"ぶらぼお" な美容師がいるという情報をキャッチ。さっそく、その石崎さんにカットを頼み、インタビューを試みました。

卒業

今月ショアライン・コミュニティ・カレッジを卒業されたそうですね。おめでとうございます。

ありがとうございます。このクォーターは大変でした(笑)。最後の22単位を一気に取得し、ビューティー・マネージメントという専攻で Associate of Arts Degree (準学士号)を取得したのです。日本での実務経験や、昔ユタの大学で取ったAA Degreeの単位を使うことができたので、早く終わらせることができて良かったです。


数回に渡る渡米

アメリカには何度か来られているわけですね。


シアトルには昨年12月に来たばかりです。それまでは日本で美容師として働いていました。初めてアメリカに来たのは高校1年生の時。ホームステイでアリゾナ州に行き、インディ・ジョーンズの映画セットそのもののような世界にびっくりしました。その次にアメリカに来たのは高校を卒業してから。その時はバイリンガルの秘書になりたくて参加したJALの留学パックで、1990年から1992年の間、ユタ州の Weber State University の Secretarial Science でAA Degree取得コースに入りました。まだまだ、美容師になるつもりなんて毛頭ありませんでしたね(笑)。私の家の母方は、私の母親も含めて全員美容師なんですが、だからといって「美容師になれ」という押しつけはなく、「とにかく自分のやりたい事は全部やりなさい」と、オープンでした。


しかし、ユタ州留学から日本へ帰国し、美容学校に入学されたということは、 ユタでの留学がきっかけになったのですか?


そうでもありません。ただ、ユタ州は日本人の髪を扱ったことのない美容師ばかりだったので、みんな四苦八苦していました。そんな時、友達が「枝美ちゃんのお母さんは美容師なんだから、枝美ちゃんもできるでしょ」 とヘアカットを頼んできたんです。今から考えると恐ろしい事ですが(笑)、その友達の髪を当時流行っていた映画 『ゴースト』 のデミ・ムーアみたいにしてあげたんです。そうすると、彼女が広告塔のようになってしまい、アメリカ人のルームメイトから先生まで、そして見知らぬ人にまで口コミで広がって、寮の部屋のドアには予約のメッセージがベタベタと貼られるようになりました。また、学校のインターナショナル・フェスティバルで着付けをやったりして、本当に楽しかったです。でもそれはそれで、その道でプロになろうとはまだ思いませんでした。


美容師の道を選ぶ

そして、日本帰国後に何が起こったのですか?


ユタ州から日本に帰り、進路に悩んでいた私に、「プロの美容師になりたいと思っても、なれない人はたくさんいる。枝美ちゃんは人にできない事ができるのだから、それを生かすべき」 と、大親友が励ましの一言をくれたのです。そのおかげで、プロの美容師になり、アメリカに行く決心がつきました。でもそこから私の過酷な労働の日々が始まったんですよ(笑)。


それはまたどうして?


アメリカへ行く資金を貯めなければいけなかったんですが、私が英語を忘れてはいけないと思った母親が探してきたのが、フォー・シーズン・ホテルでのアルバイト。フォー・シーズン・ホテルは、英語を話せないとやっていけないホテルなので、当時の私にはうってつけだったのですが、私の仕事はルーム・サービスのオペレーター業務。これが午後10時から午前6時半だったので、美容学校が始まってからは、午前9時から午後4時まで学校へ行き、仮眠し、午後10時から午前6時半までホテル勤務となりました。
(写真上: 友人の結婚式のヘア、メイクを担当)


なるほど、過酷ですねぇ。(笑)


でもそのわりには苦ではありませんでした。多分、目的があったからではないかと思います。自分でも驚くほど勉強もこなし、高校の時は考えるだけでも嫌だった化学が楽しかったのです(笑)。結局、美容学校でも500人中2〜3番という成績で卒業しました。


卒業後は美容室へ?


卒業してすぐ、東京の麻布にある美容室に就職。麻布には大使館や外資系企業などが多いので、英語を話せる美容師が必要だったのです。でも、ホテル勤務も続けたので、今度は午前8時から午後8時まで美容室で働き、仮眠した後、午後10時から午前6時までまたホテル。このスケジュールが月に20日ぐらいあったでしょうか。


よく体がもちましたね。


それが、この美容室の社長さんは、「効率よく働くには、ほどよい休暇を」という進んだ考えの持ち主だったので、年に2回の長期連休がありました。この社長さんからはさまざまなことを学びましたが、「誰しも24時間持っているが、それを何倍にも使えるのは、賢い人間だけだ」と誉めてくださったのが、今でも心に残っています。


しかし、その美容室をやめ、アメリカで美容師になる夢にチャレンジしたわけですね。


日本で働いてお金を貯めながら、その夢をずっと持ちつづけていました。麻布の美容室では、シャンプーからカラー、カット、パーマなどの基本をすべてマスターすると、パリの本店で最終トレーニングを受けるようになっていたのですが、私はヨーロッパに興味がもてませんでした。また、トレーニングの費用が自費というのもネックでした。「せっかくアメリカ留学の為に貯めたのに・・・」と。そんな時、すごい占い師に出会ったのです。私のことを何も知らないその占い師のおじいさんが、「今の仕事はあなたの個性をつぶすから辞めた方がいい。そして、ヨーロッパよりも、新しい物を受け入れやすいアメリカに行動を移すべきだ」と言ったのです。


それがきっかけとなったわけですか。


確かにそれは当たっていたのです。いくら美容室が英語を話す人を必要としていても、英語を話すことへの嫉妬や嫌みをたくさん経験し、年功序列による上下関係などにも精神的に疲れていました。どちらにせよ将来はアメリカに行こうと決めていたわけですから、多分あとはタイミングの問題だったのでしょう。そして、この占い師の言葉がひらめきとなり、美容室を電撃退職。1ヵ月アメリカ旅行をした後、ショアライン・コミュニティ・カレッジに入学しました。


再びアメリカへ

ショアラインの美容学校はどうでしたか?


最初のクォーターは講義だけなので、とてもいい復習になりました。また、カラーやパーマなど、日本ではしないような方法を学ぶことができました。でも、恐ろしいことに、2クォーター目にはキャンパスにあるヘアサロンにデビューするのです。1クォーターしか髪について学んでいないのにです。ここが日本とは違うところで、実践を通して学び、学校を出たらすぐに働けるようにデザインされているのです。私の場合は日本でプロとして働いていたわけですから、 "Super Student" と呼ばれ、予約もすぐにうまってしまうようになりました。また、良い仲間にも恵まれ、ほんとうに楽しかったです。


日本で学んだものが、こちらで役に立ったということなどはありますか?


そうですね、1つはやはりお客様に対する細やかな心遣いでしょう。例えば、シャンプーをする時にお客様の顔に水をはねない、などという基本的なことです。また、裏方が忙しそうだったら、汚れたものの洗浄を手伝ったり。相手のことを考えることはとても大事なことですが、これがアメリカではとても感動されました。全体的にアメリカはおおざっぱなのでしょうか。2つ目は、お客様のコンサルティングです。こちらの学校ではお客様のコンサルティングの仕方を教えません。私の場合、まずお客様の髪をあげ、顔の形、おでこの広さ、目の位置などを見ます。それから、頭の形、首の太さ、頬の出かた、毛流(もうりゅう)、生え際、襟ぐり、髪の量、髪質、耳などをチェック。そして、カラーをいれる人なら肌の色を見、普段着る服の色なども尋ねるなど、髪にまつわることをすべて考慮にいれ、一番似合うデザインを提案します。そこまでして初めて 『プロ』 と言えるのではないでしょうか。3つ目は、料金にブロー代も含めること。ブローの料金を追加料金にしているところでは、濡れた髪のままで帰るお客様がおられます。しかし、プロとして髪のセット方法を示してこそ、完全な仕事と言えると思います。でも、本当はお客さんがまた戻ってきてくれるまで、完全とは言えないでしょう。これはすべて日本の美容室で厳しく教え込まれたものですが、それが今ではとても役に立っているので、ほんとうに感謝しています。


これからの抱負をお聞かせください。


10月からフロリダで働く予定になっていますが、これからはマッサージやマニキュアなどのプロになり、将来はスパを開きたいと思っています。でも経営者としてではなく、1人のスタイリストとして、お客様に直接関わっていきたいですね。たくさんの人に喜んでいただければ、疲れなんて吹っ飛んじゃいますから!あ、ボーイフレンド募集中って書いておいてくださいね(笑)!


 
1971年
母方の母親はすべて美容師という家に生まれる。

1988年
高校1年生の時、夏休みのホームステイでアリゾナ州へ。

1990年
高校卒業後、ユタ州のWeber State Universityへ留学。Secretarial Science を専攻し、AA Degreeを取得。

1992年
日本帰国。

1993年
フォー・シーズン・ホテルに就職すると共に、美容学校へ入学。

1994年
美容学校卒業後、麻布の美容室に就職。昼間は美容室、夜間はホテルという過酷な労働状態へ突入。

1997年9月
アメリカで美容師になることを決意し、美容室を退職。1ヵ月のアメリカ旅行へ。

1998年12月

シアトルへ。ショアライン・コミュニティ・カレッジに入学。

1999年6月
ジャングルと出会う。

1999年8月
ビューティー・マネージメント専攻で、AA Degreeを取得。

1999年9月
ジャングルシティ・ネットワークの『ぶらぼおな人』 となる。

1999年10月
フロリダの会社で勤務開始。現在に至る。


青空美容室〜友人宅に数人が集まりヘアカット






友人の結婚式のメイクとヘアを担当


ショアライン・コミュニティ・カレッジ


エネルギーのかたまりのような枝実さん。ジャングルもたくさんの元気をわけてもらいました。これからもプロとしてがんばってください。


ジャングル日誌 | 会社紹介 | コンテンツに関するお問合せ | 技術的なお問合せ
広告掲載について | ご利用上の注意 | 個人情報保護ポリシー

当ホームページ掲載の記事、写真、イラスト等の無断転載を禁じます。
This site is protected by copyright and trademark laws under U.S. and International law.
© 1998-2008 Junglecity Network, Inc. All rights reserved.