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ダウンタウンから 5th Avenue を南下して Jackson Street に突き当たると、漢字や不思議な文字の看板が目に飛び込んできます。地元では、簡略化して "チャイナタウン" と呼ばれることが多いですが、ここは日本や中国・台湾・カンボジア・タイ・ベトナム・フィリピンなどのアジア文化が共存共栄するアメリカ唯一の国際地域 "インターナショナル・ディストリクト" です。

少し歩いてみるとさまざまな店の看板が目につきますが、この地域のおすすめはやはり何と言ってもレストラン。中国料理の店は広東料理が中心ですが、上海料理や四川料理、チャーシュー、粥・麺類を専門にしたレストランなどバラエティも豊かです。もちろん、飲茶を楽しめるレストランは週末は朝から賑わっています。

中国料理以外では、タイ料理・ベトナム料理・カンボジア料理・マレーシア料理、和食などアジア各地の料理が楽しめます。和食では1904年に創業したまねき、その他には、たこはち、つくしんぼ、藤寿司、武士ガーデンなど家庭料理や居酒屋風などいろいろなアイテムが楽しめます。

その他には中国茶・中国風ベーカリー・カンフー道具専門店・中国系食料品店などもあり、ここ最近はカフェの数も増えてきています。日本人に縁の深いパナマ・ホテル1階を改装してオープンしたパナマ・ティー・アンド・コーヒーでは珍しい茶葉がいろいろ揃っています。同店のオーナー、ジャンさんは日系移民の歴史保存に力を注いでいる人の1人。そのプロジェクトの1つが、パナマ・ホテル地階に日系移民がオープンした銭湯 "Hashidate-Yu" (橋立湯)のツアーです。この銭湯は1910年から第2次世界大戦中を除く1960年まで営業され、その後は放置されたままとなっていましたが、ジャンさんが個人的にツアーを行うまでに発展。このツアーは学校・一般向けに不定期に行われていますので、詳細は同店でご確認ください。その他のカフェでは、黒い粒々のタピオカが入った台湾風のタピオカ・ドリンクを、ぜひ試してみましょう。シアトルに初めてこのドリンクを持ち込んだのは、台湾人夫婦が経営するアンブロージア(Ambrosia〜忘情水)。今ではこのドリンクもさまざまなところで購入できるようになり、台湾人以外にもとても人気があります。持ち帰りもできるので、大きな蓋つきカップの中に黒いタピオカの粒が入ったドリンクを持って闊歩する人達を見かけることもあるでしょう。

日本では高価なエスニック料理も、アメリカでは比較的安く食べられるのがアメリカの良いところでもあります。特にベトナム系レストランやデリは急増しており、現在では 12th Avenue と Jackson Street の角あたりからはベトナム系の店舗が集中的に並ぶ "Little Saigon"(リトル・サイゴン)と呼ばれるエリアとなりました。牛の尾やハーブを煮続けて作るスープを使った麺、Pho(フォー)や生春巻など、日本人にも馴染みやすい料理が楽しめる他、新鮮な野菜・果物・海産物などが安く手に入ります。特に、ベトナム系スーパーの越南総合市場(Viet Wah)を中心に散在している食料品店は珍しい食品を見つけるのに覗いてみるのもいいかもしれません。東南アジアのパワフルな人たちに圧倒されないように!

このインターナショナル・ディストリクトの中心はやはり宇和島屋ビレッジ。広々とした店内には日本直輸入の食品や電化製品・和食器などが並び、毎日たくさんの人が買物を楽しんでいます。また、同ビル1階には紀伊国屋書店もあり。日本語の書籍・雑誌・CDなどの入手には便利です。また、タイ料理や中国料理が手軽に楽しめるフード・コートなどもあり、食事時には地元の人々で賑わっています。

インターナショナル・ディストリクトからマリナーズの本拠地セーフコ・フィールドまでは歩いて約10分。ナイト・ゲームのある日には、ここで腹ごしらえをしてから歩いて球場へ向かう人たちの姿が見られます。


■ インターナショナル・ディストリクトの歴史
1910年:インターナショナル・ディストリクト誕生
インターナショナル・ディストリクトの始まりは、ウォーターフロント地域発展を狙うシアトル市が、プロジェクトの一環として、周辺一帯が埋め立てたのがそもそもの始まり。以来、アジア諸国や米国各地から、蒸気船や鉄道でやって来た移民達が流入するようになりました。その理由は定かではありませんが、埋め立てられたばかりでさびれた土地だったため、住居を構えやすかったのではないかと考えられています。

1920年:移民がそれぞれのグループで街を建設
最初に自分達の町を造ったのは中国人。もともとは 2nd Avenue と Washington Street のあたりに居住していましたが、埋め立て後の区画整理に押しやられて、現在のインターナショナル・ディストリクトの中心である King Street でチャイナタウンを作り始めました。そのチャイナタウンの母体ができた頃、日本人が流入し、チャイナタウン北部の Main Street 沿いに日本町を作りました。この日本町には、チャイナタウン同様、レストランや乾物屋、クリーニング屋が並んでいましたが、日本人らしく大衆浴場もあったそうです。

今ではこのエリアの中心とも言えるまでに規模が拡大した日系食料品スーパーの宇和島屋は、そもそも1928年にシアトルの南にあるタコマ市で蒲鉾の販売から始まりました。この名前は、初代オーナーの森口氏が貿易業を学んだ宇和島に由来しています。1942年にカリフォルニアの強制収容所に送還されてしまった森口氏一家ですが、終戦後、シアトルのメイン・ストリートで蒲鉾製造業と再開し、同時に日本から食料品やギフト商品の輸入を開始。その後、1962年の万国博覧会で日本の製品が大当たりとなり、日本人以外の住民にも販売網を作り、現在ではベルビューとビバートン(オレゴン州)にも支店を持つまでに発展しました。

1940年代:第2次世界大戦に米国が参戦
第2次世界大戦に米国が参戦したことにより、日本人達は家財没収の上、カリフォルニアなどを始めとする米国各地の強制収容所に送還されてしまいました。このおかげで、日本人の努力のかいもむなしく、日本町は消滅しました。

1950年代:その他のアジア諸国やアフリカ系移民が流入
その後、フィリピン系移民が流入し、カフェやプールバー、床屋を開業し、今ではインターナショナル・ディストリクトであまり出会うこともないアフリカ系移民が経営する食料品店やレストラン、ナイトクラブが軒を並べていました。当時、シアトルのジャズのメッカと言われたのは、South Jackson Street界隈だったのです。

1970年代:さらなる発展
1970年代のキングドームと高速道路インターステイト5号線の建設により、危うく閉鎖または規模縮小の憂き目を見そうになりましたが、2世や3世の努力によって、町は発展し続けました。

1980年代:ベトナム人が大量移民
1980年代に入ると、Jackson Streetと12th Avenueの交差点周辺に、ベトナムからの移民が大量移民しました。今ではこの一帯は "Little Saigon" と呼ばれ、ベトナム人が経営するレストランや宝石店などが並んでいます。
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